30数年前、ボランティアに熱心だった一人の同僚がいました。私も興味本位で1度同行した。施設で生活している障害者の外出手伝いでした。車椅子にきちんと乗っている人、前のめりに乗っている人、ことばもはっきり聞き取れない。当時はまだ車椅子で、それも団体で外出をするのは珍しく、行き交う人々はみな振り返っていました。それでも、彼らはみな楽しいそうでした。同僚は職場の顔と違って生き生きしていました。私はというと、恥ずかしい、2度と行きたくない、他人に手伝って貰っても外出したいのか。でした。いくら二十そこそこといえ、今考えると余りにも恥ずかしい考えでした。
それから20数年後、筋萎縮性側索硬化症という訳の分からない、それも治る見込みのない病気を発症しました。将来は車椅子生活になると聞いたとき、20数年前の彼らを思いだした。しだいに手の自由が奪われ、ろれつが回らなくなり、歩けなくなって車椅子に、ついには人工呼吸器という生命維持装置まで着けてしまった。恥ずかしい、無様な姿を人に見られたくない、見せたくない。との思いが強く、絶対に出ない、と頑固でした。今振り返ると可笑しくてしょうがありません。1度外気との肌さわりの心地よさを覚えるともうたまりません。彼らの思いが20数年間かけてようやく理解できました。もちろん、家内ひとりでは車椅子へ移乗できません。ヘルパーさんに手伝ってもらいます。他人に手伝ってもらっても外出したいのか、と言っていた自分が同じ障害者になって、いろいろな人に助けられて生活しているのになにか運命的のものを感じます。あのとき、もうすこし真剣に向き合っていれば、と障害者になった今悔やんでいます。
日本ALS協会宮城県支部支部長 後藤忠治
機関誌「ゆつける」も鎌田前会長ならびに宮城大学看護学部の学生ボランティアの方々の制作になる前身から7号を数えるに至りました。徐々にではありますが支部の皆さんそして全国の支部の皆さんにも浸透しつつあると実感しています。さて、このコーナーは機関紙「ゆつける」を補完する形で、より多くの方々の「思い」をより多くの方々にお伝えしたいと言う趣旨でスタートしました。インターネット・ホームページの特性を十二分に活用しよりタイムリーに、生きた意見交換の場に育てて生きたいと考えています。参加対象は支部の方々のみならず全国の支部の皆さん、そして、患者家族の方々のみならず、医療関係、行政関係、ヘルパー、ボランティアの方々とできるだけ幅広く「ゆつける」の輪が拡がればと思っています。リレー形式の連載を予定しています、積極的な参加を心から希望いたします。