ALSとコミュニケーション
― ALSの想いとどける技術支援ボランティア募集 ―

主催: ALS協会宮城県支部
協力: 宮城県肢体不自由児協会
日時: 平成19年11月22日(木) 13:00~16:00
会場: 仙台市青年文化センター エッグホール(仙台市青葉区旭ヶ丘3-27-5)

集いの内容

講演会の様子 集合写真

ALSを発症し,在宅あるいは病院などで療養生活をしている方,あるいはその周辺で療養の支援を行っている方々より,コミュニケーションの重要性について四肢が不自由になってから再認識すること,ALS患者にとってコミュニケーションが生死を決めることがあること,現在のコンピュータやスイッチング技術を応用したコミュニケーション支援によってかなりの長期間コミュニケーションが可能であることが説明されました。

療養者とその支援者による講演(左から,後藤さん,千葉さん,渡辺さん,小野寺さん

坂爪さんより説明
これまで宮城県においてALSを含めた神経難病の療養者に対してコミュニケーション支援に関する技術的な試験を中心的に担ってくれている坂爪新一さんより,これまでに行ってきた支援について,そして現在の支援状況についての説明がありました。現在はほぼ一人で対応していただいていますが,今後のことや,技術伝達などを考えると坂爪さんの活動を支援,あるいは受け継いでくれる方の出現を心待ちにしている,とのことでした。

在宅療養者にとってボランティアによる支援は必要不可欠です。このような集いを通して技術支援ばかりでなくさまざまな支援を行いたいというボランティアの方があらわれることを期待します。

プログラム

★ 集いの趣旨: 支部事務局長

★ ALS療養者の講演発表

    渡邊 春樹

    千葉 淑子

    後藤 忠治

★ ALS療養者/療養者家族の寄稿発表

    小野寺利昭/小野寺洋子 他

★ コミュニケーション技術支援の現況: 技術支援担当者

★ ボランティア応募の呼び掛け: 支部長

コミュニケーション技術支援者を募る呼びかけ

和川はつみ

本日はALSのコミュニケーション技術支援者を募る会にお集まり頂きまして有難う御座います。発表頂きましたALS療養者の4人の皆様ありがとうございました。私たちALS患者家族に取りましていかにコミュニケーションの技術支援が必要であるかという事をご理解頂けた事と思いますALS療養者本人が一斉に介しまして想いをを発表する機会をもつことが出来ました事は夫共々感慨深いものがあります。一番楽しみにしておりました夫が今日は体調が整わずに参加できずにとても残念です。

私の夫は平成元年にALSを発症しまして今年で20年目になります。
呼吸器を装着して17年目になりました。
夫は 現在誰の手も借りずに出来る事は、聞く事と考える事となりました。
夫は現在 脳波のスイッチ マクトスを使ってコミュニケーションをとっております。
夫からのメッセージを紹介させていただきます。

コミュニケーション技術支援者を募る会にそえて

ALS協会宮城県支部長  和川次男
脳波スイッチ マクトス作製

    

   私の願いは、最後のその時までALSの脳が生きている事を伝え
   続ける事です。

   私は ALSを受け入れながら 諦めず 焦らず 生きて参りました。
   想いを伝え続けながら、夫婦の心が近づき 家族の心が近づき、
   夫唱婦随でALSと生きてまいりました。

   坂爪先生は いつでも限りなく謙虚に私たちに寄り添いながら
   技術支援をして下さいました。
   
   私はALSと幸せに生きております。
   感謝の気持ちを後に続くALS患者家族に繋げていけますように
   技術支援をお願い致します。

夫のALSの進行は早く、呼吸器を装着して5年ほどでパソコンを操作するスイッチが使えなくなりました。夫のコミュニケーションスイッチについて簡単に紹介させて頂きます。

でした。

呼吸器を着けて生きる夫が想いを伝え続けることが出来るのは、夫の伝えたいと思う強い意志と想いを伝える装置の提供と、夫の想いを聞きたいと思う人がいることで 始めてひとつの言葉、ひとつの想いが表現されるのだと思います。

一字一句を読み取る事が大変であればあるほどに、その一字一句のもつ意味は深まるもです。夫の言葉に背中を押され、励まされ、おだてられながら生きてくることが出来ました。

言葉をうしなってからの私たちはお互いを深く理解しようと努力し続けました。どんどん進行するALSを受け入れながら、お互いのすべてを理解し受け入れていく事はたやすい事ではありません。夫と私は夫婦として、3人の子供の父親として、今日共に集う事がどきましたALS患者家族の仲間としてコミュニケーションをとる事を諦めずに生きてきました。

身体の動きも言葉の表現も失った夫の要望は限りなくありました。その要求に応えることができずにじれんまに陥る時期は夫とコミュニケーションをとる事自体が楽しく思えないこともありました。坂爪先生は夫の色々な要望に応えて下さいました。どんな時もNOと云わずに試行錯誤を続けて下さいました。まぶたを閉じてからは不安な時期もありましたが、脳波のスイッチなる物が開発されているという情報が各方面からありました、実現化までに至らずにいましたが坂爪先生はいち早く情報を手に入れて我が家に関わっているOTとPTと共に国際福祉機器祭りに出向いて下さいました。確実性のない物であってもその時点でコミュニケーションを取るすべのない夫にとりましてはたったひとつの希望でもありましたので購入して頂きました。

マクトスと共に生きて来まして8年になります。夫が夫らしく生き続けて、輝きを戻す事が出来た事をご承知頂きまして技術支援を宜しくお願い致します。


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